プロフィール
1942 香川県に生まれる
1965 京都女子大学卒業
1968 北米に滞在(80年帰国)
1979 「カナダ・オンタリオ・クラフト’79」
プロヴィンシャル賞受賞
1991 工房「スタジオ・ジンゼンジ-Grass House」設立インドネシア・バリ島
1994 「第1回木糸土に棲まう-現代の道具展」
玉川高島屋、東京
2003 「QUILT EXPLORATION」アメリカ/イギリス巡回ワークショップ・講演会(〜2005)
2005 「秦泉寺由子のキルトの世界」
倉敷民藝館、岡山
2007
「キルトの世界-植物の神彩」
高知県立牧野植物園
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(上写真「コードキルトT 源氏物語」)
INTERVIEW <インタビュー>
 作家としてのはじまり
Q.秦泉寺さんは華道がはじまりだとお聞きしたのですが、そこからキルトの世界へ至った経緯を教えてください。

A.今も作家という意識はあまりないんですけど、若い時は、キルト作家として歩んでいこうなんて全く思ってなかったです。自分の好きなこと、やりたいことをやってきただけなんです。30年以上前、カナダでアーミッシュキルトに出会って、その世界の美しさに大変感動ました。何故ここまで心惹かれたのか、という感動のルーツを求めてきたら、ここまできてしまったんです。
(右写真「コードキルトV 枕の草子」)

方丈記
 作品コンセプト
Q.竹で白く染めるという独特の手法で作品を発表されてますが、なぜ「白」なのでしょうか?

A.「白」の発見は13年前、漆作家さんと一緒に展示をした際、漆の作品との対峙の仕方を考えていたら、「白しかない」と天からメッセージが降りてきました。そのとき自分がやっていたのが天然染料でしたから、天然染料で白を出すという探求の旅が始まったのです。そこからいくつもの植物で実験して、もう駄目か、と思ったときに夢の中でかぐや姫が「まだ私を試してないじゃない?」って言ったのです。そこで竹を煮出した茶色の液で染めて干したら、えもいわれぬ白が現れたのです。青竹が白に変わる様はとてもミステリアスでした。当時白い布を白に染めた作品を発表したら、ずいぶんバッシングされましたが、自分を信じることをやっているので、全く気にしませんでした。
(左写真:「コードキルトU 方丈記」一部」)

 場所
Q.インドネシア・バリ島に工房があり行き来されてるということですが、バリと日本との違いなどあれば教えてください。
A.一番の違いといえば、植物が全くちがいます。バリは赤道直下にある国なので、光合成をしている植物は生態そのものが違います。同じ竹でも、バリのものと日本のものでは全く色の出方が違う。また制作を探求しているときに、植物からたくさんのメッセージを貰います。アーティストというのは、ネイチャーメッセージを自分の作品を通して伝える巫女の役割があるのでしょうね。もちろん、バリの異文化からもインスピレーションは得られます。芸術は越境することよって爆発が生まれるのではないでしょうか。空を飛んで異文化圏に行くエネルギー、そのライフスタイルそのものがクリエイションなのです。
(右写真:「コードキルトU 方丈記」一部)

方丈記

 ヴィジョン
Q.今後はどのような活動をしていきたいですか?

メールキルト

A.これからは料理をしたいです。今までキルトの世界に埋没して料理を作る機会がなかったので、これからは、美しい料理というのを作ってみたい。かぼちゃを料理したら、それに対してみんなが感想言ってくれるでしょ。
(キルトは続けてくださいとの声に対して、秦泉寺さんは笑顔。)
(左写真:「ヒエログラフィックU メールキルト」一部)
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